2011.9.04
☆祝☆避難所解散!!

Posted by sakura nozaki (2011年9月 4日 03:46)

8月いっぱいをもって避難所解散!Yeah ! 思えば米軍駐留時から毎週毎週毎週毎週毎週毎週毎週毎週誰かに車を出してもらい、45号線をひたすらまっすぐ進み、雨の日も地震の日も通い続けた愛する避難所の解散!!もちろん嬉しいことこの上なし!この日を目標に皆も私もがんばってきたんだから!!(ええ、全然これっぽっちも寂しいなんて思ってないですよ!) 

誰もいない大塩市民センターにてお世話になった管理人さんと27日に撮った写真。全員8月末をもって退去が完了し、避難所としては解散です。一番初めから毎回コーヒーを飲みにきてくれたおじさん。最後は私とはるかさんの車が見えなくなるまでずっと見送ってくれました。うっかり泣いてしまいました。

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そして、31日のほんとのラストデーは、祭りでスタシの手伝いも快く引き受けてくれた単身のC葉さんが無事に引越し。他の方がビールを持って見送りにいったら、体育館がピッカピカに掃除されていたそうだ。Cさんなりの"ありがとう"だったんですね。ご両親も家もなくされて、それでもいつも笑顔のC葉さん。その話をきいて、心の中でつぶやいた。禁断ワード "がんばって" を。


避難所でお世話になった皆様。ほんとに素晴らしい時間を有難うございました!


Sakura Nozaki
2011.9.04
避難所解散にあたって、師匠に宛てた手紙

Posted by sakura nozaki (2011年9月 4日 03:40)

桜井様
 
市民センターでは大変お世話になりました。初めの1ヶ月間で桜井さんから学んだことは、今日に至るまで、いつも羅針盤の役目を果たしてくれました。
 
余計なことはしない。必要とされていることのみを行う
避難民、避難所スタッフに迷惑をかけない
 
この2点をしっかり守り、5ヶ月間毎週通い続け、避難所解散の日を迎えることができました。これまでの5ヶ月を振り返り、文章にまとめてみました。稚拙な文章でお恥ずかしい限りですが、ご一読頂ければ幸甚です。

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市民センターに初めて足を踏み入れた日、「掃除していいですか」と桜井さんに尋ねると、「余計なことはしなくていいの。ここでは自分達で決めてやってるの。」と教えて頂きました。他の避難所なら喜ばれるかもしれませんが、市民センターではただの迷惑でしかありません。その後の数ヶ月間、善意いっぱいの支援が迷惑になっている様子を残念ながら多く見てきました。各避難所、各個人で求められる支援は異なるという大原則を痛感しました。しかし、善意いっぱいで遠くから来る支援者にNOを言うのは労力を要するので、笑顔で「有難うございます。」と言っておくほうが楽ということも学びました。善意いっぱいの私は避難民に何が足りないのか聞いてまわりましたが、初めて見た人間に「○○が欲しい」という方は一人もいませんでした。桜井さんにきいても「全部」との回答しか返ってこず、結局桜井さんのメモをみつけ、そのリストの物資を購入しました。
 
 
さて、物資を購入した私は、意気揚々と搬入し、さぞや感謝されるだろうと期待しました。しかし、桜井さんは「事務所に持っていって。事務所の人が配るから。」とおっしゃいました。直接渡せず少し残念だったことを覚えています。当時の私は、物資を購入した見返りとして、感謝を期待していました。また、この段階では皆のことを「市民センターに避難している被災者」と大きなくくりでしか見ておらず、ある意味彼らは一人の人間では無く、可哀相な支援の対象でしかありませんでした。訪問回数を重ねるにつれて、<被災者>が「○○さん」となっていき、個々人のことを知っていくにつれて、自分の考え方と行動が変わっていきました。

 
桜井さんのメモを元に、自転車やシャベル、長靴等、皆で使える物資を運び入れました。この時は、複数の方が私にお金を振り込んでくれました。寄付者への報告のために、その物資を"被災者"が手に持って微笑んでいる写真を撮ることを多くの人が考えると思います。しかし、既に○○さん、と被災者が個人になっていたため、「すみませーん、写真撮っていいですか?」ということは私にはできませんでした。確かに、写真を撮って支援者が喜べば、もう一度お金を振り込んでくれるかもしれませんが、私には<被災者>にほんの僅かでも嫌な想いをさせるリスクをとらない、ことのほうがプライオリティが高かったのです。この判断は間違っていなかったと自負していますが、如何でしょうか。

 
5月に市民センターのK家族と宮戸の子供祭りに遊びに行った時、5歳のYと一緒に歩いている私は母親のようにみえたようで、四方八方から「お母さーん、これ持っていってー。無料ですー。」と呼びかけられました。見下された気分になりました。皆、善意で様々な物資を配っているのは、自分もそうだったため、よくわかります。しかし、経済的に自立している自分にとって、無料で「はいどうぞー」と様々な物資を渡されるのは苦痛でした。<被災者>のほとんどが震災前は自立した生活を送っていたはずです。数ヶ月もの間こんな毎日だったら、と想像すると胸が痛みます。物資を配ると「ありがとう」を言わない方が多くいらっしゃいましたが、それは「物資はもらって当たり前」という理由を自分の中で持たないと、精神的にもたなかったからだと、いまは思います。この祭りの後、何かを誰かにあげたい時は、「避難所卒業祝い」や「暑中見舞い」など、何かしら理由をつけ、包装し、ギフトとしてこっそり陰で渡すことにしました。手間もかかりますし、一つ一つの値段も高くなりますが、そこまで大した金額の違いはない、と自分にいいきかせ、お金を使い続けました。そしてそれをするためには、個々人の状況を把握していなければならなかったのですが、スターシップスコーヒーで皆と長い時間会話することで、その問題はクリアすることができました。

 
 
市民センターに通い出した当初、私は会議室にプライバシー確保のため、段ボールのついたてを置くよう手配してよいか、事務長に伺いました。事務長の答えはうやむやで、まるで段ボールを置いてほしくないかのようでした。はじめは理解に苦しみましたが、何度か通ううちに、会議室と体育館の、空調や床など他環境の不公平な部分を、ダンボールの有無で調整しているということに気がつきました。当然ですが、週末だけ通っている私より、毎日避難所にいるスタッフの方が状況をわかっていて、運営する責任もあるのです。私は一お手伝いであり、ただの部外者なので、スタッフの方を尊重し、また、少しでも邪魔にならないように動いていかなければと思いました。極力でしゃばらないように細心の注意を払って行動したことで、困ったボランティアさんにならず、毎回快く迎えて頂け、よかったと思います。
 

 
「支援」と一口にいってもさまざまなスタイルとレベルがあります。桜井さんのように、毎日8時間を週7日、避難所で過ごした方もいますし、少し炊き出しの配膳を手伝って、「ボランティアした」と言う方もいます。100万円を寄付する方も、100円寄付する方もいます。何度も泥出しする方もいれば、一度ダンスを見せて、「心のケアをしています」という方もいますし、Tシャツを買って「日本を支援した」という方もいます。チャリティーソングを売って「支援しています」と言う方もいれば、スタッフが倒れるまで炊き出しを続けた方、アートで何が出来るかを考えた方もいます。医療を仕事としてこなす方、買い物ツアーでやってきて被災地にお金を落としていく方、被災地ファンドを買う方、被災企業に外注を入れる経営者、たくさんの「支援の仕方」を見てきました。それぞれ、この大災害への想いの丈も、経済力、住む場所、融通のきく時間も精神的な余裕も違います。2万人が亡くなった大災害。遺族と私では捉え方がまるで違うように、これをチャンスと捕らえ、自分の宣伝や将来のキャリアアップのために奔走する人がいてもおかしくはありませんし、とても悲しいですが、何も感じない方が多いのも理解できます。自分の預金残高の数字が、見知らぬ東北の誰かに送るお金のために小さくなっていくのが嫌な人がいても、当然のことです。私は震災後しばらく、Tシャツを買って笑顔の写真をとって「Pray for Japan」とのたまう、「被災地を心配する心優しい人たち」や、経費をかけてチャリティーアルバムを自主制作してわずかな収益を寄付する人、「被災地を想って」つくったアート作品で展覧会を開いて収益を寄付しようとするような人々を批判していましたが、それは単に彼らの被災地(=被災地に住む人)との距離感の現れだったのだと、いまは思い、批判したことを反省しています。(ただ、私はそういう人を尊敬はしませんが)私はこれまで車を買ったと思ってある程度の金額を費やし、労力と時間もつぎ込みましたが、これが地元の連坊だったら、この程度ではないだろうし、私の年収がもっと高ければもっと使っているだろうし、低ければ使うお金も少なかったと思います。それぞれが支援するかしないか、どの程度支援するかは、その人の受けた教育や人を思いやる心よりも、経済状況と被災地との距離によって違うのだということを学びました。ですので、私は無理に寄付を募ることは止めました。寄付する気持ちと経済力のある人は何も言わなくても助けてくれ、寄付する気持ちも経済力もない人は、いくら心を込めて必死にお願いしても、寄付しないからです。(こんな簡単なことに気づくまで5ヶ月かかった自分はあまり頭が良くないのだな、とようやくわかりました 笑)
 
 

ところで、言うまでもなく、被災者は非被災者の私となんら変わりません。楽しみが無かったら自分で楽しみを見つけることができますし、コーヒーが飲みたかったら自分でコーヒーを淹れればいいのです。半端なレベルのエンターテイメントを提供している方は、被災者が自ら楽しみをみつけられないとでも思っているのでしょうか?私のみた限り、そのような方は見当たりませんでした。掃除や散歩、お喋りや絵など、それぞれ楽しみを見つけていました。遠方からお金をかけてバスで乗り込んで自分のやりたいパフォーマンスをするより、その経費と労力で、泥だしや片付けなどの「求められていること」をするほうが助けになります。しかし、彼らにその選択肢はありません。なぜならその方法では彼らがパフォーマンスすることができないからです。興味深いことに、たくさんの人が「領収書」やお金では無い利益を欲しがります。達成感や証拠、将来的な自分達の利益といったものです。商品や思想のプロモーションの一環であることも多々あります。自社製品のサンプルを「被災者支援」として配布する行為、支援物資と一緒に思想をまとめたパンフレットを配布する行為、スローガンを壁にはり、その写真を撮って自分の後ろにいる支援者にみせる行為など、典型的な例です。支援ゼロの状態よりはよいのでしょうが、ただ、私の好みの問題として、嫌悪感を覚えます。(これも彼らの被災者との距離の現れですが、利用されていることに単純に腹が立ちます。)もし私の母が避難所に1ヶ月、2ヶ月いたとして、「母の助けになりたい!」とTシャツを買ったり、歌をうたおうとするわけがありません(笑)もし母がいたとしたら、本当に必要な「お金」や流された「車」を身銭をきって贈り、頻繁に通うことでしょう。達成感や証拠は不要です。色紙にメッセージを書いてもらい、それを母親にもたせ、写真をとることなんて、ありえません。私が1回見知らぬ人達の前で歌うことで「心のケア」になるなどとは思いもつきません。もしマライアキャリーが私の部屋に来て、私だけに歌ってくれたとしても、それが心のケアになるとは思えないのです。心のケアとは自尊心を取り戻すことではないでしょうか?その為に必要なのは、お金と仕事ではないかと考えます。一般人が雇用創出のためにできることは、お金を使うことと被災地ファンドを買うことくらいですが、自分の調べた限りでは被災地ファンドはリスクが大きすぎ、損失金を考えると、その分で現地のラーメンを食べた方がよい気がし、みそ源によく立ち寄っています。

 
スターシップスコーヒーは、自分にとっても子供達にとってもあくまで遊びで、「支援」ではありません。ただ、スタシは私が毎週避難所に通う最高の「理由」であり、スタシのテーブルに集まる避難所の皆から「いま何が本当に必要なのか」を聴取できたことはプライスレスでした。また、スターシップスが結果的に、子供たちが「支援の対象」ではなく、唯一の「必要とされ、力を提供できる場」であったことは嬉しく思います。そして、何より、気兼ねなく話せる友人達ができたことが一番でした。
 
 
私がいま現在(8月24日)していることは、被災地にお金を落とすことです。震災直後は物資提供、5月~6月は炊き出し、7月は友人達との遊び(一緒に買い物に行ったり、料理を作ったり、飲み会を開いたりなど)、8月は被災地にある店舗で必要な物の購入し、必要とする人に渡す、と、徐々に変わってきました。 必要とされる支援、お手伝いは日々変わります。それを把握するためには、通い続けて生の状況を把握するか、わかる人に教えてもらうしかないのです。桜井さんに教えてもらった「でしゃばらず、状況がわかっている人に何が必要か教えてもらう」ことを続けていきたく思います。
 

 
最後に「なぜお金と労力を費やしてそこまで支援をするのか?」とたまに尋ねられますが、その時は「暇だから」と答えるようにしています。これは、桜井さんに私が同じ質問をした時、桜井さんが「近いから。」と答えたのを、盗ませて頂きました。
 
 

市民センターは無事、避難所解散を迎えることができました。もう通わなくてすむと思うと、嬉しい気持ちでいっぱいです。今後はここで知り合った友人達と、普通に付き合っていきたいと思います。
 

 
避難所のこと、手伝いとは何なのか、を何も知らなかった私に時には厳しくも、粘り強くご指導頂き、本当に有難うございました。
 

 
野崎さくら
2011.9.04
宮戸で海水浴

Posted by sakura nozaki (2011年9月 4日 03:15) | コメント(0) | トラックバック(0)

8月27日(土)、東松島市はいつもの宮戸、月浜へ。今回の目的は海水浴☆ほぼ毎週きている宮戸だけれど、311後、海水浴客の姿は当然みたことがない。8月はいつもならば海水浴客で賑わっているはずだから、親父殿、お袋殿達は「去年までは...」という気持ちでいるのかな、と慮ると胸が痛い。

まずは仮設に引っ越したT子おばあちゃまに顔を見せ、月浜海水浴場へGO!

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完全プライベートビーチ!
「この2人震災あったこと知らないできてるんじゃないの、ばっかー」と笑われることを期待して砂浜に寝転ぶJust two of us.ノンアルコールビアも忘れない☆

浅瀬でさえも水が透き通っている~♪(シュノーケリングすると車や船の部分が沈んでるけど。)
ウミネコも遊びにきている~♪(島の一部分が陥落してはいるけど。)

海はとてつもなくブルー↓


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逆サイドはこんな感じ↓


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写真はマイメンのT蔵様(81)。毎日2回、自分の家があった場所に腰をおろし、海を背にし、全滅した集落を眺めている。T蔵様、今回はじめて海をみながら話したけれど、声がいつもの3倍くらい大きかった。海の人は、海の前では元気になるんだな。


宮戸の海は美しい。過去形ではなく現在形で。


こんな海水浴、もう二度とないだろう。あって欲しくもないけれど。


Sakura Nozaki





2011.8.13
The list of what "I" can do.

Posted by sakura nozaki (2011年8月13日 23:35)

8月6日も宮戸経由でいつもの矢本の避難所へGO。今回のパートナーはHRKさん。8月6日は言わずもがな、広島に原爆が落とされ、たくさんの方の命が、人生が失われた日。広島長崎の原爆と福島の原発事故を一緒くたにしないで欲しい。後者は、誰かが望んで起こったことではないのだから。
 
そんな事を考えながら、まずはコメリで大濱の親父殿からリクエストがあった電ノコ、電気ドリル、他工具を姫路のCさんからお預かりした大切なお金で購入。
 
その後、長音寺を東洋大学の皆さんが片付けている様子を遠くから眺め、宮戸入り。なぎ倒された墓石から流れ出た骨まで、どんな想いで片付けてくれてたのだろう。
 
宮戸入り口の嵯峨ビュー跡。水が抜かれて遺体捜索がはじまっていた。E夫さん宅後、隣の隣のS藤さん宅におじゃま。宮戸の復興計画のタイムテーブルのようなものをみせてくれた。「10年20年じゃ無理だろうな、50年はかかるな。私達は死んでるから、さくらさんたちの世代だな」との言葉に胸がズキンとくる。引越してから2週間経ったので、宮戸小仮設の皆さんはだいぶ片付き、家具も入り、落ち着いたようだ。特に必要なものは、さっと見た限りではわからなかった。M夫妻、中萩中小学校からの調味料、身内からのヤカンは目で確認できた。
 
 
HRKんと長年お付き合いのあるUばあちゃまを訪ね、月浜仮設に移動。娘さん、お孫さんを津波で亡くしたのに、前向きな90歳。恐るべし。とても素敵なおばあちゃまだった。扇風機を売っているトラックがあったので、Cんからのお金で一台購入。すぐにおばあちゃまの部屋で使った。とっても喜んでくれていて嬉しかった。ぶらついてたTZ爺(やはり私のことは覚えていない)の仮設も近く、行ってみたら7人家族だった。てっきり奥さんと2人だけだと思っていたので、安心した。
 
 
 
その後O形家に行って、身内が7月上旬に集めた鍋とやかんをドロップ。里浜の皆さんへのお渡しをお願いした。しかし、これで集めたものをただ配るっていうのは完全に終わりにしたい。今回はちょっとタイムラグがあったのでこうなってしまったけど、やはり被災地で買わないと。鍋にしたって、矢本で売っているところ(できれば個人商店)で買えば、お店のお金になるのだから、集めて配るスタイルは、かえって地元店舗の収益を落としてしまう。地元の経済復興なくして何もありえない、ってあたり前だけど。スタシのコーヒーもただ配るだけじゃNG。子供達にとっていい機会、とかいうのも20回以上してるのでもう無いし。
 
 
宮戸後、いつもの矢本
難所と近隣仮設でスタシを開店。米軍駐在期から毎週会っていた二家族もまもなく出て、来週はおそらく10人くらいかな、と思う。スタシの主力も抜けるけど、でも私は最後の1人がいるまでは通おうかな、と。特に理由は無いけど、なんとなく。最後まできっちりやりたいと思った。
 
 
宮戸に行って、みて、自分が思った個人ベースでできることをリストアップしてみました。他に何かアイディアやご意見があったらお知らせください。

 
1.既にある何か、を支援する:一部ででてきた商い"のバックアップ
 

2.今回の電ノコ、電動ドリルなどの工具のように、より暮らしやすい環境をうみだすための道具類の支援。もちろん現地購入。
 

3.  泥出し、草刈り、片付けのお手伝い。さしあたって長音寺
 
 
 
本当は食堂や民宿を建てて、ビジネスをはじめるのが一番いいんだけど。。。雇用創出にも、ちょっとした希望にもなるし。HRKさんとも話したけど、民宿の場合、建屋だけでざっと500~600万くらいでしょうか。土地の評価額とかはわかりませんが、自分だけでは無理だけど、10人くらい集まればできそうな気もしてきます。飲み会を頻繁にしながら考えていこうかと思います。
 
 
アメリカのイラク侵攻をみてもよくわかるけど(笑)、地元の人ありき、です。私はあくまでアウトサイダーなので、地元の人たちから湧き上がるパワーをみつけ、それをサポートしていきたいと思います。
 
 
Sakura Nozaki
 
 
 
PS:野蒜ロードから宮戸内で、たくさんのお手伝いの皆さんをみかけた。里浜でもお宅の片付け(一番初めに里浜に行った時、片付けを誰かに手伝って欲しい、と言っていたおばあちゃまのお宅)を東京からの皆さんがしていたし。いい人達っているんだな、と思った。
 


8/6 長音寺 東洋大学!バスでここまできてくれて、津波になぎ倒されたお墓から流された遺骨を拾ってくれていた。

月浜の現在


2011.8.13
♥ ♥THE BIGGEST THANK YOU ♥ ♥(日本語下)

Posted by sakura nozaki (2011年8月13日 23:19)

It's been almost 5 months.  And now suddenly want to thank you all !! The BIGGEST thank you all  for doing something (big or small) caring about devastated people either throu me or not !!!  And, BRAVOBRAVO to myself for keeping visiting every weekend ! You've done the amazing, effective, and heartful work throu 7 days! Mucho Genius ! You're the greatest superwoman!!  lolol          
 
I thought "I will be doing my best till everyone moves out to temporary housing...", though it turned out to be it's just beginning...the reality I recently realized is that nothing has even started yet. So now I must take more Lipovitan D, need more energy, then head forward even if it's 1 nanometer! 
 
突然ですが、311からおよそ5ヶ月間、私経由、私経由無し、でも被災地のことを考えてくれて、大なり小なりアクション起こしてくれた皆さんに最大級の感謝を!そしてほんとに毎週通い続けてる自分にも拍手喝采!サスガ!やっぱり You're the greatest !!! www ペコリ・スミマセン(o_ _)o))
 
 
当初は「皆が仮設に入るまで」なんて思ってましたが、「仮設に入ってからが本番」という現実を突きつけられたいま、これまで以上~にリポD飲んでファイト一発、1ナノでも前に進めるように行動していこーと思います!
 
 
Thank yooooooooooooooooou ☆☆☆
(直接私経由でお手伝いしてくれた方、避難所でお世話になった方。順不同、敬称略 漏れがあったらほんとすみませーん!)
 
 
Sakura Nozaki
 
 
エミコ
スティーブ
尾形KTR
尾形家の皆さん
池田さん
ハルカさん
マリさんタクさん
オカさん
マユコ
マキコ
しげちょい
けんちゃん
まっちゃん、まっちゃん父
よーこさん
バーラン淳一さん
加藤家の皆さん
ゆーし
たけや
ひさし
みさき
わかな
けんいち君
みやび
みさと
はなえ
みちこさん
阿部のおばちゃん
せいや一家
蛇田の小野さん一家
M先生
D先生
A先生
W生
A部J子
S戸J子
鈴木所長
チバさん(男)
チバさん(女)
森田さん
佐々木さん
佐藤さん、佐藤さん奥さん
悦夫さん、みっちゃん
はまちょー
タケオさん
長崎ろう学校の皆さん
大田区中萩中小学校の皆さん
イタ
IズミダテMキコさん
谷口さん
目黒さん、さやかさん
武田親方
兄一家
相澤君
黒井さん
小林さん
平塚さん
米谷さん
平岡さん
多賀城ばあちゃん
あずさ
かずや
のりか
米軍シャワー隊
アイカさん
Jaiさん
Daikeiさん
Nerveさん
野口さん
佐々木君
村井さん
笠井さん
Suzan
William
Mike 
Abbass
Alex P.( for nonstoppinh feed)
Alex S.
ジュンペイさん
黒澤さん
マナオ
こんにゃく
さちお
いくえちゃん
Ahmed
Khorshed
Timmo
WたなべNなえさん
ワクさん
Andrew
OおたNなえさん
しずさん
チヒロさん
ヘルムート
中村さん
小野寺さん
LV Chen
まりこさん
のんちゃん
さちさん
バイさん
ソンさん
チンさん
菊池さん
タカハル君
タマミさん
ツカイ君
ヒデマルさん
ヨーコさん
池田家の皆さん
児玉監督
カオリンさん
ミホさん
兄一家
Bron
ノリコさん
ユカさん
M像さん
あずさ
かずや
はなえちゃん
大濱親父殿、お袋殿達
永野
ヤーマ
まきさん
まゆみちゃん
真由美ちゃん一家
中野さん
斉藤ヨーコさん
甲斐
ガンちゃん
ツギタコ
K澤先生
タツゾー爺
ひろむくん
みうちゃん
ダイ
レイナちゃん
さやかちゃん
K山さん
事務長
さくらいさん
さつきさん
みゆきさん
こゆきさん
BR13
Dianna
International School in Jakarta
遠藤八百屋
五十嵐小児科
内山さん
300円ショップ
ナオさん
七ヶ浜VC給水隊の皆
マレーシアの時の運転手さん
Timothy
尚子ちゃん
キコちゃん
香ちゃん
全子さん
豊さん
美由紀ちゃん
秀ちゃん
UNIZON
海兵隊のみなさん
アウトドア義援隊
2011.8.08
STARSHIPS NOW !

Posted by sakura nozaki (2011年8月 8日 23:25)

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2011.8.08
Love & Peace ? それってナンデスカ?

Posted by sakura nozaki (2011年8月 8日 23:10)

 震災後、私が頻繁に顔を出しているある避難所で、あるおばあちゃまがお亡くなりになったときいた。​理由は悪い衛生環境のせいではなく、自分が何もしなかったせいだ​と思うのは異常でしょうか。

 その避難所では炊出もしたし、TZ爺様に毎​週オロナミンCを運んでいる。避難所の衛生環境の悪さはよくわか​っていたのに。もし私がボーナス全額使うか、バーランに頼んでお​金もらって全力で環境整備にあたっていたらお亡くなりにならなか​ったかもしれない。  LOVE&PEACE だかONE LOVE だかなんだか知らないけど、おばあちゃんは亡くなったのだ。あの避難所で​。  



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2011.8.08
友人のレポ:まっちゃんの瓦礫撤去

Posted by sakura nozaki (2011年8月 8日 21:53)

以下、宮戸炊出しや真昼の飲み会などでお世話になった、まっちゃんのレポ(セルフナレーション 笑)。世界一周旅行を途中でキャンセルし、東北にきてくれたそうだ。これぞ"必要とされていることのお手伝い"、でbravoです!
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 2011年6月20日、宮城県牡鹿郡(おしかぐん)女川町に浮かぶ島、出島へ行ってきました。3月11日の地震から100日以上経過した現在も、約500人いた住人全員が­島の外へ避難しており、出島は全島避難の島となっています。島には津波が残した瓦礫が山積みになって残されており、毎日島の人たちと、全国から駆けつけたボランティアの人­たちで瓦礫の撤去を行っています。小さな島には重機がほとんど入っておらず、作業は全て手作業で行っていました。残された瓦礫やヘドロ、水産物からくる匂いのせいか、ハエ­が大量に発生しており、作業中は顔や両腕にたかるハエ達との戦いもありました。

正直、島の人が立ち向かっているあまりの悲惨な状況に言葉を失うほどでした。 先日、東北地方も梅雨入りし、雨が続いています。またこれから夏に向け気温が上昇すると、ヘドロなどからくる匂いも悪化し、ハエなども虫も増え、復興作業の妨げになります­。都心から車で5時間、メディアが伝えてくれない所で、助け合い、1日でも早い再建を目指し頑張る人たちがいるのです。テレビや新聞で伝わる情報なんて、氷山の一角に過ぎ­ないという現実をご理解いただければ幸いです。 

 撮影:GwaGwa 島田正道さん URL:http://www.gwagwa.jp/

 
2011.8.08
Starships Coffee@仮設

Posted by sakura nozaki (2011年8月 8日 14:26)

最近Starships Coffeeは仮設でオープンしています。役目は仮設の状態リサーチおよびコーヒーのご提供。

スタシの子達は皆、家を流されています。親を亡くした子もいます。津波がきたということを、理解していない子もいます。避難した校舎3階から人が流されていく様子、車から腕を伸ばして沈んでいった人をみています。近所のおばあちゃん達が、よったよったと坂を上っていて、何人も何人も、流されていく様子をみています。そして"覚えて?ない""わかんない"と311については語らない子が多いです。

そんな中、こんな未就学児を含む子供達ですら「困っている人の助けになりたい」と一生懸命がんばっています。2万人以上が亡くなってしまった大災害だというのに何もしない大人がわんさかいる中で、ほんとうに誇りに思います。


Sakura Nozaki

PS: やはり足の悪いお一人暮らしのおじいちゃまおばあちゃま、たくさんいらっしゃる。ムムム...。


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2011.8.07
長音寺 (1)

Posted by sakura nozaki (2011年8月 7日 21:43)

毎週通る、野蒜ロードの長音寺。震災後、ずっと墓石が散乱し、大変な様子だった。7月中旬までは、人が片付けに入っている様子は見られなかったけれど(週末、自分が行くとき)、7月下旬からたくさんの方が片付けに入ってきてくれているようだ。


皆、津波でなぎ倒された墓石から流された遺骨を、どんな気持ちで拾ってくれていたのだろう。


私もいまはただのヤジウマだけど、近いうちに絶対お手伝いします> <



7月30日
舞子高校40名ほか、東京大田区ボランティアチーム、山​形から団体など
(東京からのハヤシさん撮影)

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8月6日

東洋大学!他、後で検索したら一般企業の社内ツアーのようなものできてくれた方もいたようです。

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